2017年6月2日

自己責任を主張すると病人扱いされ、見当違いなクスリが処方される件

望月優大さんのブログより。
本田圭佑氏のツイートが話題になっていた。若い世代の自殺に関するニュースを取り上げて「他人のせいにするな!政治のせいにするな!!」と吼えている。ああ、このツイートは見たくなかった。好きなサッカー選手であるだけに個人的には残念な気持ちになった。…
hirokimochizuki.hatenablog.com
ツイッターの反応を見ると大好評なのですが、読んでみると全く同意できるような内容ではありませんでした。

そもそも本田圭佑さんのツイートからして意味不明なんですがね。若者の死因で自殺が最多であるというニュースを見て「他人のせいにするな!」って文脈的におかしいでしょ。でも自殺の文脈から切り離して眺めてみると、政治はともかく他人のせいにするなってのは至極真っ当なご意見だと思います。

自分は自分の力で頑張ってきたんだという強い自意識があるから、社会的な弱者に対して「他人のせいにするな」と平気な顔で言い放ってしまう。自分が成功したのは自分ががんばったから、そして、他人が成功しなかったのは他人ががんばらなかったから。あまりにも単純で、あまりにも狭い。物事の複雑な因果を一つの偏狭な図式に当てはめて理解し、それによって成功者としての自分の過去に肯定的な価値を与える。
成功者ならみんなこう考えているに違いないというストーリーですね。これこそ発言者の属性に囚われた「偏狭な図式」と呼ぶに相応しいものです。「成功者」への著しい偏見に満ちていると感じます。

成功や失敗の過程で頑張ったとか頑張らなかったとか、どうでもいいことだと思います。頑張りの有無によって、誰のせいにするかが変わるんですか? 頑張っても失敗してしまった場合、他人のせいにしてもよいのですか?

今日もまた一人、また一人と、成功者たちが「自己責任論」のダークサイドに墜ちていく。
自己責任というのは自由と表裏一体で、他者侵害の禁止から自然に導かれるだけの消極的な原則にすぎません。たとえば「俺が成功しないのはお前の責任だから何とかしろ!」と言いがかりを付けてくるような侵害行為に対して、「自己責任でしょ」と言って防衛する場合、ダークサイドなのは一体どっちなのかという話です。

この記事のタイトルにある「自己責任を求める成功者」という表現からして既に奇妙に見えます。本来なら自己責任は積極的に「求める」ようなものではないからです。「自己責任を求める」レベルまで踏み込まざるを得ないのは、この国では他者を侵害する側の「権利」(社会権)を主張する輩の声がやたら大きく、隙あらば「弱者を助ける」ことを強制してくるからです。

で、出てきたクスリとやらがこれ。
この国には、自分一人の力で富を得たものは一人もいません。一人も!あなたが自分で工場を建てた。いいでしょう。 ただ、明確にしておきたいと思います。あなたの商品を市場に運ぶための道路、この道路は残りの私たちがお金を出し合ってつくったものです。あなたが雇う労働者たち、彼らに対する教育も残りの私たちがお金を出し合って提供したものです。
富を獲得した成功者はみんな「自分一人の力で」それを成し遂げたつもりになっている、という勝手なイメージを膨らませているようですが、事実は全く逆で、市場経済の下で投資家、労働者、消費者などの大勢の他人と必要なものを自発的に交換し合うことによって富を得たはずなんですけど?

道路や教育に税金が使われているからって、それがどうしたというのでしょう。受益者負担の構造になっていないのならそれは事業主である政府の責任だし、もし政府が経済に介入していなければ、代わりに民間企業が必要なサービスを提供していただけのことです。それを規制している張本人である政治家がいったい何を言っているのかと。

いずれにせよ、「他者侵害をしない」という意味の自己責任論とは関係のない話です。

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