2011年9月6日

「働かざるもの食うべからず」という考え方が日本を滅ぼす

先日の記事で、「働かざるもの食うべからず」という思想の弊害について触れましたが、同じようなことが書かれたブログを見つけました。

円高のいま、すべきこと。/日本を滅ぼす「働かざる者食うべからず」という強迫観念 - デマこいてんじゃねえ!より:
現在のように介入に失敗して円高ドル安が進んでしまうと、当然、買い集めたドルの価値も下がり、為替差損が発生する。元手となる円を国債で調達している以上、この損失は将来の国民の負担となる。

今を守るために未来を売り払う――この国は何度おなじことを繰り返せば気が済むのだろう。

自分の産業のことしか見えていないおっさんたちの声に耳を貸すべきではない。
まったく同感です。
政府に何かを要求しては、そのコストを払わずに「ツケ」で済まそうとするのは、日本国民の悪い癖ですね。これからは逆に、政府は何もしなくていいから、浪費をやめて借金を返済しろと言わなければなりません。

日本人は「働かざるもの食うべからず」という言葉を固く信じている。仕事をしていない人に直接お金を渡すことに抵抗があるのだね。だからすでに食っていけない産業であっても、価格統制等で無理やり食えることにしてしまう。「なにもせずにカネだけ受け取ってください」とは言えず、「(本当はやらないほうがいいのだけど)とりあえず働いてください、生産物を買い上げますから」と言ってしまう。もとは世界屈指の技術・生産性をもっていた産業が、政府にスポイルされて、いつの間にか穴を掘って埋めるような産業になってしまう。

日本の製造業を農業の二の舞にしてはならない。

「働かざるもの食うべからず」という考え方が日本を滅ぼす。わりとマジで。
いやほんと、この考え方は圧倒的大多数の日本人の脳に深く刷り込まれているようで、税金が生活保護に使われるのには猛反対でも、雇用創出・維持に使われるのならはるかにマシだと思ってしまう人がほとんどではないでしょうか。私もわりと最近までは、何となくそう思っていました。

確かに、両者のコストが同じならその考え方でも特に害はないと思います。
しかし実際には、働かない人に直接お金を渡すよりも、働いていない人を働かせるほうが、はるかに高くついたりするんですね。たとえば一人の0歳児を抱えた母親を働かせて100万円稼がせるために、保育所だけで600万円の公費が費やされているという話は、『社会保障の「不都合な真実」』 鈴木 亘 (著)で紹介した通りです。こういうのを無駄遣いと言わずして何と言うのでしょう。

旧来の固定観念に縛られたまま、莫大な税金が無駄遣いされていることにまったく気付いていない大多数の日本人。「日本を滅ぼす」という表現も決して大げさではないと思います。

この記事の後半はインドネシア投信の話に。
先日、メガバンクの個人営業担当の人と飲んだ。顧客はみんなお金持ちばかりだ。私のような貧乏人と商売することなんてないんだろうなー、と思っていたのだけど、なぜかインドネシア株の投資信託を熱烈に勧められた。
こ、これは…。
相当なボッタクリ臭の漂う金融商品です。販売手数料3.15%、信託報酬1.8%ぐらいじゃないですか?
メガバンクの営業というキーワードからして怪しいので、気をつけてくださいね。

2011年8月28日

『人生論』 堀江 貴文 (著)



人生の有限感 - Chikirinの日記で紹介されていたのがきっかけで読んでみた本です。

堀江氏は小学1年生のときに「死の恐怖」をはっきりと自覚し、恐怖のあまり時折発作に見舞われたと言うのです。私がそれを意識し始めたのは既に人生を数十年も過ごした後でしたから、そんな若さで!と驚くと同時に、やはり只者ではない人というのは、幼少の頃から既に一風変わったところがあるものだなと思いました。
死に怯えないためには、常に忙しくして、考えなければいい。
これまた驚きの対処法です。
そうまでして逃れたいほどの強い恐怖って、凡人の私にはちょっと想像できません。
私は、楽とは思考が停止した状態であって、つまらないと思う。退屈なだけだ。それに、退屈な時間は「死」と向き合ってしまうので嫌である。世の中には、何も考えないでボーッとした時間を持てる人もいるようだが、私にはできない。ぼんやりすると、死を頭の中に招き入れてしまうからだ。
私は逆に忙しいほうが嫌な人なので、このような感覚には共感できませんが、彼のこれまでの生き様を見ていると、なるほど辻褄が合うなと思いました。

保釈後、人々を刺激するような発言をすることをやめようか、とも少し考えた。しかし、やはり考えてみて、「私はそういう刺激的なことを言わなければならない役割なのではないか」と思う。
素晴らしい決意だと思います。素直に拍手を送りたいですね。

ところで、マスメディアが刷り込みたい彼のイメージと、本人の著書やネット上のメディアの情報から構成できる彼の人物像との間には、けっこう乖離があるように見えます。これを利用して、「ホリエモンのことをどう思うか?」という質問にどう答えるかによって、その人のメディア・リテラシーのレベルをある程度見分けられる、リトマス試験紙として最適な人ではないかと思っています。

今でも私は、最低でも8時間は寝たいと思っている。
そうですね、私も基本的に毎日8時間寝ています。
7時間までなら何とか減らせますが、それ以上減らすのはちょっと無理ですね。現役時代どんなに忙しいときでも、睡眠時間を削るという発想はありませんでした。

日本人は「行列マニア」である。並んでいる間、貴重な時間というものを浪費しているのに、それを浪費と思わない。でも、私は絶対に行列になど並びたくない。
人と同じことをするのは、一番損をすることなのだ。人と違うことをするからこそ、超過利潤が生まれるのであって、同じことをしていたら一番高いものを買わされるだけである。
同感です。
忙しい堀江氏と違って暇人の私でさえ、人と同じことをしたばっかりに時間や自由を失うのは非常に不快です。もうこれは経済的な損得の問題ではなく、持って生まれた感性の違いなのかもしれません。

私は「小さな政府」であるべきだと思うし、いっそのこと政府などなくなってもいいのではないかとすら思う。官はものすごくコンパクトにすべきである。
という主張に基づいてベーシックインカムの導入を提唱しています。賛成です。
関連記事:
少し前に ホリエモンのブログに面白い記事 がありました。 農業革命で人々は飢えることからある程度開放された。 産業革命で人々は労働時間からある程度開放され、余暇の時間を持つことができるようになった。 実は、多くの人はもう働かなくてもよくなった状態にあるのかもしれない。 でも働かな...
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すでに、今は働くのが尊いという時代ではない。必ずしも働くことが尊いと言わずとも、生きていける時代になったのだから、無理に働くことは惰性でしかない。
その通りですね。
無理に働いて自分の時間を失うだけなら個人の勝手ですが、社会全体の富を食いつぶす負の労働をしている場合もあります。(関連記事: 『社会保障の「不都合な真実」』 鈴木 亘 (著)

なぜ人々が無理にでも働くかというと、今の社会制度が「働かざるもの食うべからず」という前時代的な思想に基づいて設計されているからです。負の労働をする人に罰を与え、何もしないでいる人にインセンティブを与えるように、制度の設計を根本的に変えていく必要があると思います。

2011年8月22日

『減税論―「増税やむなし」のデタラメ』 河村 たかし (著)



わしはずっと総理大臣になってこの国を変えたいと思って政治に携わってきた。名古屋で革命を起こし、次は日本の革命につなげようという思いは、いまでも変わっていない。そうなったときの初めの政策は消費税率の1%引き下げだ。
日本に限らず、世界中でいま、時代の変わり目が来ている。日本は「庶民の手による民主主義の時代」へ向けて動き出した、とわしは思う。減税を突破口にし、そこから規制撤廃、地方行財政改革を進め、強い地域をつくる。国から独立し、本当の意味ではこれまで存在しなかった日本の「民主主義」を、名古屋から、減税政策から、実現させたいとわしは本気で考えている。増税やむなしという大本営発表を流し続ける議員、役人、マスコミに騙されちゃいかん。増税と言っとるのは、今のしくみの中で税金や既得権益にどっぷりつかった勝ち組の人々なのだ。この人たちがいくらもっともらしい理屈をこねても、庶民・納税者の暮らしを苦しめる増税で国民が幸せになれるはずがない。
もっと日本をよくするための戦いは、いま始まったばかりなのだ。
素晴らしい理念を持った政治家だと思います。名古屋市民が羨ましい。
小さな政府路線を支持する有権者にとって、減税日本は注目に値する政党です。今まで総理大臣なんて誰がなっても日本は変わらないと思っていましたが、もし減税日本が政権政党となって河村氏が総理大臣になる日が来るのなら、本当に革命が起こるのではないかという期待が膨らみます。

本書で残念なのは、第1章:
国債は「借金」ではなく「財産」である
なんだかよく分からないタイトルですが、要は、最近声の大きい「財政危機なのだから増税は不可避」という主張を否定したいがために、
日本は貯蓄過剰であって財政危機ではない。
などという妙な理論を展開している点です。

たしかに国債は債権者から見れば「財産」でも、国からみればやっぱり「借金」以外の何ものでもなく、その借金がこれだけ膨れ上がっていればやっぱり日本国政府が「財政危機」であることは間違いないでしょう。この前提を素直に認めたとしても、べつに増税不可避論を肯定することにはならないわけで。

ここはシンプルかつ堂々と、
「日本は財政危機だが、増税ではなく歳出削減によって危機を回避できる」
という、ごく当たり前のことを主張するだけで十分だったのではないでしょうか。

いきなり第1章で長々と意味不明な理論を展開されたので、私は危うくトンデモ本だと勘違いして途中で投げ出すところでした。諦めずに最後まで読んで本当に良かったです。

参考記事: 『減税論』河村たかし: hard workers portfolio

2011年8月20日

『35歳からのお金のリアル』 人生戦略会議 (著)  その2



『35歳からのお金のリアル』 人生戦略会議 (著)  その1の続きです。

第5章「健康と年金」では、長生きをした場合に少しでも得をするために、受け取る年金額を増やす方法を色々紹介しています。
たとえば、国民年金には、定額の年金保険料に「付加年金」を加えて納めることで、65歳からもらう年金を少しばかり増やせるという制度があります。
(中略)
単純計算でみれば、65歳から年金を受給する場合、67歳になるまでの2年間生きれば、元が取れます。
要するに、自分が67歳よりも長生きすることに総額12万円を賭ける(今のところは有利な)ギャンブルと言えます。

ただ、このような制度に敢えて加入するのは、長生きする自信のある健康自慢の人たちばかりでしょうから、ほとんどの人が67歳以上生きて「元を取る」ことになり、やがて収支が合わなくなるのは目に見えています。たまたま現在の人口ピラミッドに都合の良い賦課方式だからこそ、損益分岐点が若くても何とかなっているだけで、30年後には80歳以上生きないと元が取れない制度になっていてもおかしくないと思います。

さらに国民年金基金についても紹介していますが、これも任意加入の制度である以上、付加年金と同様に、原理的には「元を取る」ためのハードルが強制加入の年金制度よりも高くなってしまうこと、途中解約ができないこと、さらには、
最大のデメリットで、もしかしたら損失につながるかもしれないのは、「物価スライド形式でない」ということです。
これは致命的です。
30年後に毎年360万円もらえると言われても、その購買力がどの程度なのかは、今後30年間のインフレ率によって大きく変動しますからね。
要するに、国民年金基金はインフレリスク丸抱えの金融商品なのです。

最後には民間保険会社の「個人年金保険」まで紹介して4階建てに挑戦、などと書いているのは、さすがにやりすぎでしょう。そこまで不利な金融商品に手を出さないと老後の年金不安が拭えない人は、あらゆる不安ビジネスの餌食になりかねないと思いますよ。

「なーんだ、結局マジメに払うのがもっとも得なのか」
じつは、そうなのです。公的な制度というものは、正直ものがバカをみないように設計されているのです。
日本年金機構(旧社会保険庁)のプロモーションビデオを見ているようで、思わず笑ってしまいました。

正直者がバカをみる設計になっている公的制度は、世の中にいくらでもあり、むしろ競争のない「公的」制度だからこそ、そういうおかしな設計になりやすいと言えます。賦課方式による世代間格差、第3号被保険者のフリーライドを許す公的年金制度なんて、その最たるものでしょう。

頭の良い人たちが設計したからといって、フェアな制度になるわけでもなく、国の定めた制度なんて、時の権力者たちによっていつどのように改悪されてもおかしくありません。ここまで国を信頼できる無邪気さは、いったいどこから出てくるのだろうと思いました。

参考記事: お金学 35歳からのお金のリアル(人生戦略会議編)

2011年8月19日

『35歳からのお金のリアル』 人生戦略会議 (著)  その1



著者の人生戦略会議とは、20代~40代の男女11名からなる匿名集団のようです。
前作の『35歳からのリアル』の方は、まだ読んでいません。

最後のページにとても良いことが書いてあります。
私たちはお金を稼ぐために生きているのではありません。生きるためにお金を稼ぐのです。お金はあくまでも生きるための手段。目的と手段を取り違えてはいけません。

どうか、お金に踊らされない人生を。
賛成です。

ただ、各論を見ていくと腑に落ちない点もけっこうあります。
貯金とは「収入-支出」の副産物なのですが、「給与をもらい、必要な分を支出して、残ったお金を貯めていこう」という意識では、絶対にお金は貯まりません。
天引きとか積立てなどの「仕組み」に従わないと貯まらない人の方が多いのだろうとは思いますが、「絶対に」貯まらないなんてことはありません。私はまさに、ここに書いてある通りの意識で現役時代を過ごしましたが、ちゃんとお金が貯まりました。

要は、「必要な分を支出」する段階で、たまたま持っているお金が多いか少ないかによって、必要なものの範囲が広くなったり狭くなったりして一貫性がないのが、貯まらない人の特徴ではないかと。関連記事:
けっこうな人気本のようですが、 資産がマイナスかもしくはゼロに近い状況にあり、このままではいけないと感じている「お金の問題児」である(かもしれない)あなたといっしょになって家計を立て直し、貯金をするための実践的なアドバイスをお伝えしたいのです。 と書かれているように、「お金の...
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お金という点からみて、健康な人は、不健康な人より得をします。早死は損をし、長生きは得です。
主な理由は以下の3つ。
□健康な人は、不健康な人に比べて、医療費がかからない
□心身ともに健康であれば、老後、働いて収入を得ることができる
□健康な人は、不健康な人よりも長生きでき、年金を多くもらえる
まあその通りなんですけど、2番目の理由って「得」なんだろうかという疑問が…。
老後でなくても働きたくないのに、心身共に衰える老後に働くなんて想像したくないです。

介護状態になってからの期間を差し引いた寿命を「健康寿命」といいますが、長生きして得をするためには、この「健康寿命」を伸ばすことが重要になってくるわけです。
日本人の健康寿命は男性72.3歳、女性77.7歳だそうです。
男性が60歳まで仕事をしていたら、健康な余生を送れるのは平均12年しかありません。とんでもなく短く感じるのは私だけでしょうか。

老後は遊んで暮らしたい?
それはそれで、ぜいたくな人生です。しかし、遊ぶにしても、ある程度の健康が必要です。また、おそらく飽きます。かなりニートな強者でも、健康な身体をもちながら、それでいて6万5000時間、27年分相当もの時間を遊び倒すのはむずかしいのです。
まず、老後であろうとなかろうと、そもそも遊んで暮らすのがなぜ贅沢なんだろうかという疑問がひとつ。むしろ、老後に残されたわずかな時間をお金に替えてしまうことのほうが、贅沢な生き方のように思えます。

さらに、たった27年の時間を「持て余す」のではないかという、一種の恐れにも似た感覚も、私にとっては理解しがたいものがあります。(
関連記事:
日本一のニートを目指すphaさんのブログに秀逸な記事がありました。 無職の才能 - phaのニート日記 より: 街に出て飲み会とかするのが好きな人はあんまり無職に向いていない。飲み食いは結構お金がかかる。買い物が好きな人も向いてない。ギャンブルに走ってしまう人も駄目。一方、インタ...
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(つづく)