2013年10月1日

『「やりがいのある仕事」という幻想』 森博嗣 (著) その1



森博嗣さんの本を読んだのは『自由をつくる自在に生きる』以来2冊目になります。
僕は、最近ほとんど仕事をしていない。大学は47歳で辞めた。作家の方は、1日1時間だけしか仕事をしない。あとは、ほとんど遊んでいる。毎日が楽しいから、そのとおり、「楽しい」と書いたりする。
理想的なセミリタイア生活に見えますね。
ちなみに小説家の仕事は「とんでもなく」儲かったそうで、
国家公務員の30倍くらいの年収が10年以上も続いた。
ざっと年収2億x10年で20億ってとこですか。
これだけ稼いだら、蓄えた資産額も我々庶民とは比較にならないレベルに達していることでしょう。毎日遊んで暮らすことを決断するのに何の躊躇も要りません。真の経済的自由を手に入れたリタイア生活、羨ましくないと言えば嘘になります。

さらに凄いと思ったのが、
僕は小説を書くことが今でも好きではない。でも、もしかしたら向いているのかな、という感じは少ししている。
「好きな事を仕事に」と言う人をよく見かけますが、好きではない仕事で20億稼いだ人がいると知ったら彼らはどう思うのでしょうか。

彼が書いた小説がそれだけの収入を生み出したということは、「少し」どころではなく小説家に向いていたのだと思います。好きな仕事よりも向いている仕事で効率よく稼ぐ方がリタイアへの近道だった、という一つの例を示してくれています。

僕の仕事に対する第一原理というのは、これまでに幾度も書いているが、つまり、「人は働くために生きているのではない」ということだ。
人は働くために生まれてきたのではない。どちらかというと、働かない方が良い状態だ。働かない方が楽しいし、疲れないし、健康的だ。あらゆる面において、働かない方が人間的だといえる。ただ、一点だけ、お金が稼げないという問題があるだけである。
ここは色々なブログで引用されているだけのことはあって、なかなかの名言です。
ここだけ読むと仕事大好き人間が噛み付いてくるかもしれないので、次の部分も追加しておきましょう。
したがって、もし一生食うに困らない金が既にあるならば、働く必要などない。もちろん、働いても良い。それは趣味と同じだ。働くことが楽しいと思う人は働けば良い。それだけの話である。そんなことは当たり前だろう。
これが当たり前と思わない人たちとは、一生分かり合えないような気がします。

(つづく)

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