2018年5月25日

「迷惑」を基準に自由の範囲を決めることはできない

ツイッターより。

自由について述べる文脈で、「誰にも迷惑をかけなければいい」と言う人を確かによく見かけます。「原則自由だが例外的に特定の行為が制限される」という方向性は消極的自由の定義と同じで正しいのですが、一つ残念なのは、「迷惑」という概念が主観で決まる曖昧なものであるために、誰かの気分次第で自由の範囲がいくらでも変わってしまうことです。

デジタル大辞泉 - 迷惑の用語解説 - [名・形動](スル)1 ある行為がもとで、他の人が不利益を受けたり、不快を感じたりすること。また、そのさま。「人に迷惑をかける」「迷惑な話」「一人のために全員が迷惑する」2 どうしてよいか迷うこと。とまどうこと。「一生の間煩悩の...
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① 人のしたことで不快になったり困ったりする・こと(さま)。 「 -をかける」 「他人の-になる」 「 -な話」 「君のために-する」
この定義に従えば、人のしたことで誰か一人でも不快になれば迷惑行為が出来上がります。プロ奢さんの例に当てはめると、他人の金で生きる奴の存在自体が俺は不快だ!と言う人が現れたら、プロ奢さんはその人に迷惑をかけたことになります。そういう意味では、彼のツイートにある「意図があろうが、なかろうが、人間は迷惑をかけて生きているのだよ。」は本当にその通りです。

しかしここで注意が必要なのは、「迷惑」をかけることは仕方がないとは言っても、数ある「迷惑」行為の中には、自由主義で禁じられている他者侵害(物理的強制)行為も含まれていることです。迷惑という言葉が侵害行為と非侵害行為の境界線を曖昧にしているのです。

どさくさ紛れに「迷惑をかけないで生きることは不可能なのだから、他者侵害したってかまわないだろう」みたいな主張をする人が出てきても、迷惑と侵害の違いを知らなければまんまと騙されてしまいます。

自由の範囲を規定するのはあくまでも侵害/非侵害の境界線であって、そこに「迷惑」という曖昧な概念を持ち込めば混乱するだけだと思います。

参考記事:

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