2009年5月6日

『人生に生きる価値はない』



いろいろな意味で面白い内容で、私にとっては久々の「当たり」本でした。

Wikipediaによれば著者は「戦う哲学者」だそうで、たとえばこちらのブログで引用されているような奇特な行動を積極的に行う様子は、強烈に印象に残ります。世間からは「変人」とか「KY」というレッテルを貼られて白い目で見られる人物に違いないだろうと。

本書のタイトルにある「人生の価値」とはまさに哲学的なテーマで、いくら考えても答が出るとは思えませんが、あとがきに書かれている次の言葉は印象深かったです。
いかに懸命に生きても、真も善も美も何もわからないまま死んでしまう。あとは宇宙の終焉に至るまで私は(たぶん)永遠の無であり、おまけに百万年もすれば人類が存在したあらゆる証拠はこの宇宙から完全に消滅してしまう。これって、考えれば考えるほど凄いことじゃないでしょうか? これでもう、生きる気力がなくなりそうになるのでは? 少なくとも、生きる価値がない理由としては充分すぎる。みな気が弱くそのくせ狡賢いからこの残酷さを直視せずに、なんだかんだ生きる価値を見つけたつもりになっているだけなのです。
「百万年もすれば・・・」の部分は、その頃には銀河帝国が繁栄を謳歌しているだろうという楽観的な人もいるでしょうから「百億年」ぐらいをイメージしたほうがいいかもしれません。いずれにしても、普段そういう時間スケールで物事を考えないので目から鱗が落ちました。

ただ、この事実を鼻先に突きつけられたからといって、生きる気力がなくなるなどということは、私の場合たぶんないです。目的や価値があろうがなかろうが、今こうして心身ともに健康に生きていることを幸福だと思えるからです。

他にも次のような物の見方、考え方には素直に共感できました。
いじめの「本当の」原因とは何であろうか? それは、わが国の国土をすっぽり覆っている、いや日本人のDNAの中に染み込んでいるとすら思われる「みんな一緒主義」である。あるいは、協調性偏愛主義であり、ジコチュー嫌悪主義であり、形だけ平穏主義と言ってもいい。つまり、日本人のほとんどがそれに絶大な価値を置いていることこそが「日本型いじめ」の真の原因なのだ。
 容易にわかることではあるが、協調性にはそれ自体としての道徳的価値はないのだ。協調性のある人とは、「周囲に合わせられる人」にすぎない。周囲が魔女裁判に熱病のように浮かされているときに、魔女を火あぶりにしようと真剣に企む人であり、周囲がユダヤ人狩りに精を出しているときに、ユダヤ人を躊躇なく密告する人である。つまり、与えられた状況が何であろうと、それを批判することなく受け容れることのできる人なのである。とすれば、時には協調性のないほうがいいこともある。
 こうして、いじめのあまり自殺してしまう少年少女たちは、現代日本に蔓延している「みんな一緒教徒」による迫害の犠牲者なのだ。いじめの原因は、自分勝手な人、集団の調和を破る人、協調性のない人、エゴイストを嫌うあなたの常識のうちにある。自分を抑えて全体のことを考えるあなたの美徳のうちにある。みんなが給食を食べているのに、一人食べない子がいると気になる感受性のうちにある。みんなが絵を描いているのに、「描きたくない!」と叫ぶ子を非難する目つきのうちにある。
 最近、人間として最も劣悪な種族は鈍感な種族ではないかと思うようになった。この種族は、(いわゆる)善人にすこぶる多い。それも当然で、善人とはその社会における価値観に疑問を感じない人々なのだから。
(中略)
しかも、最も悪質なことに、自分の鈍感さがいかに巨大な加害性をもっているか想像もしない。よって、いささかの自責の念もない。それどころか、疑問を抱き続ける人を排斥しようと身構えているほど加害的である。


思わず爆笑したエピソード。
 なお、わが電通大も毎学期末になると学生による授業評価というものがある。
(中略)
 ちなみに、これまでで一番の傑作を紹介すると、「この授業でとくに悪かった点」という項目に……小さい字でぽつんと「教授の性格」とあった。


2009年5月1日

『「地球温暖化」論に騙されるな! 』



「地球温暖化の原因は二酸化炭素であり、その排出量を減らすことが温暖化防止につながる」という世間知が誤りであることを、わかりやすく指摘する本です。
 実は、なぜか一般的にはまったく報道されませんが、「温暖化」について、学問上の論争としては「二酸化炭素が主因ではない」と、すでに決着がついているのです。
(中略)
 簡単にいえば、二酸化炭素を含む温暖化ガスの働きよりも、雲のほうが気温に圧倒的に大きな影響を与えるということがすでにわかっています。そして、雲の量を支配するのが宇宙線の量なのです。
ほかに地球の気温が変化する要因としては、太陽活動の活発度、地球の磁場の強さ、火山活動、ミランコヴィッチ・サイクルなどもあって複雑なのですが、では何が最近の地球温暖化の主因なのかという問題は実はそれほど重要ではないのではないかと感じました。

時間のスケールを大きくとって気温の変化を眺めてみると、たとえば17世紀の日本では寒冷化で大飢饉が起こっていたり、8~11世紀はグリーンランドが氷ではなく緑に覆われていたり、6000年前の縄文時代はさらに暖かくて海面が今より3~5メートル高かったりとか、
 産業革命以前、人間の文明とは無関係なはるか古代から、プラス・マイナス4℃くらいの変化は地球上で頻繁に起こっていたのです。
つまり、
 地球というのは、私たちが二酸化炭素を排出しようがしまいが、気候変動するのだということ
なのです。
このような事実を知れば、高々最近100年ほどのわずかな気温上昇傾向だけを見て二酸化炭素を犯人に仕立て上げるのはいかにも無理があり、高いコストをかけてひたすら二酸化炭素の排出を抑制しようと躍起になっている現状は、「温暖化対策」としてはほとんど意味がないとわかります。

驚くべきことに、著者は「地球は次第に寒冷化する」という説を唱えています。温暖化説と寒冷化説のどちらが正しいかは今後10年以内に決着するということです。予想が大胆すぎる気もしますが、どのような結果が出るのか楽しみです。

2009年4月15日

『食品の迷信』



ここ数年、食の安全に関するメディアの報道と、それを鵜呑みにする消費者たちには漠然とした違和感をもっていましたが、本書を読んでその違和感の原因がはっきりしました。日本に蔓延するフードファディズムです。
 フードファディズム(Food Faddism)という言葉をご存知でしょうか。
 ある特定の食品さえ食べていれば健康になるとか、逆に、特定の食品を食べると健康被害が起こるといった、科学的な根拠に基づかない極端な思考を指す言葉です。
(中略)
 どうでしょう。まさに現在の日本人の多くがフードファディズムに陥っているといえるのではないでしょうか。

特にテレビからの偏狭な情報によって多くの消費者に刷り込まれているイメージの多くは、科学的根拠のない 「迷信」 であると説きます。

本当の常識は次のようなものです。
・アメリカに輸入される食品の違反率は、中国産よりも日本産の方が高い
・中国産ウナギの安全基準は世界トップクラス
・国産表示ウナギの8割は外国産
・食品衛生法の残留基準値は、実際に健康被害が生じる値よりはるかに低く設定されているので、基準値の2倍、3倍はおろか、100倍の数値が出てもなんら人体に影響はないケースも珍しくない
・賞味期限の設定も厳格すぎるため、たとえば90日もつ食品を30日で捨てているケースもある
・天然ものよりも養殖もののほうが安全
・無農薬栽培でも使用してよい農薬が30種類もある
・残留農薬や食品添加物に含まれるよりもはるかに多量の発がん性物質が、日常的に摂取する天然食品にも含まれている

意外に感じることがいくつもあるのではないでしょうか。私も含めて、そういう人は多かれ少なかれテレビの悪影響を受けています。あらためて、テレビというメディアの恐ろしさを実感しました。

2009年4月3日

『だまされないための年金・医療・介護入門』



非常にわかりやすい社会保障問題の入門書で、だまされない自信がある人にもお勧めしたい良書です。

まずは、
わが国が今後迎える少子高齢化は、社会保障財政にとってまさに戦慄すべき意味を持っています。現在でさえ改革に次ぐ改革で国民の社会保障に対する不満は高まり、「もうそろそろ負担増はいい加減最後にしてほしい」と思っているわけですが、実は、今までの負担増などほんの序の口にすぎないのです。今までと同じような負担増(もしくは給付減)を求める改革を繰り返すのであれば、今後は、今までよりも、もっとハイペースかつ大規模な改革を行わざるをえず、しかもその危機的状況はなんと2070年を越えるまで続くことになるのです。
いずれにせよ、現在、与党や、政府の社会保障国民会議が検討している「高福祉・高負担か、それとも、低福祉・低負担か」などという選択肢は幻想にすぎず、そもそも存在していないことは明らかです。私たちが直面しているのは、「低福祉・高負担か、それとも、中福祉・超高負担か」という選択肢なのです。
という現実がはっきりと示されています。人口動態に合わない社会保障制度を存続させようとして、今の若者だけでなく、まだ生まれてもいない世代の未来までも真っ暗にしているのが、この国の悲しい現実です。
少子化対策で社会保障問題が解決するという主張は幻想にすぎません。私たちには、少子高齢化社会と正面から向き合い、少子高齢化とともに生きるしか選択肢はないと、私は思います。少子高齢化を山登りにたとえるならば、この険しい山を避けて迂回するルートはありません。どのようにして山を上りきるか、その方法を必死に知恵を絞って考え抜くしか道がないのです。
いま少子化をくい止めることができたとしても、社会保障問題への効果が出始めるのは30年後ということですから、このような覚悟を決めることが重要だと思います。まあ、そもそも既存の社会保障制度の維持に都合のよい人口分布を人為的に作り出そうという発想自体が本末転倒なのですが。

本書の結論は
① 社会保障制度のすべてを積立方式にすべきである
② 現在の賦課方式からでも十分に積立方式への移行がスムーズに可能である
③ 積立方式への移行をなるべく早く行うことこそが、少子高齢化による悲惨な未来を避ける唯一の道である
となります。
基本的に賛成ですが②についてはやや疑問で、どうしても今の現役世代(20代~50代)が貧乏くじを引くことになるので、スムーズに実行できて政治的にも支持される方法を考案するには相当知恵を絞る必要がありそうです。賦課方式を続けることによる負の遺産が大きくなればなるほど、そのような方法を見つけることがより困難になるという意味で、③の結論が導かれます。

やはり諸悪の根源は賦課方式です。現行制度をそのように設計してしまった政治家、持続可能性を無視してその場しのぎの改革もどきを繰り返してきた政治家の大罪であり、そのような政治家を支持した国民の大罪でもあります。

2009年4月1日

『「信用偏差値」―あなたを格付けする 』



『「信用力」格差社会』と同著者、同時期の出版で、内容も一部重複、という不思議な本です。

前著と重複していない内容のうち、電子マネーの話はほとんど予備知識がなかったので参考になりました。著者の
信用情報の一本化によって、今後日本のカード業界、カード社会は大きく変質していくことが予想される。それとともに、今関心の的となっている電子マネーがこの輪から外れていき、キャッシュレス社会はクレジットカードが主役となって、その信用機能がリードするようになるだろう。
という予想に反して、日本ではクレジットカードがこれ以上普及しない代わりに、電子マネーが主流になっていくのではないかという印象を受けました。

ただ、今の電子マネーって、いろいろあるようなので少し調べてみたのですけど、どれもいまいち使う気になれないです。やっぱり、
現在の電子マネーはほとんどがフェリカのために、コスト高になっている。世界標準ではなく日本独自規格に近いために量産効果を発揮できず、世界標準のタイプA、タイプBに比べると割高になるのだ。例えばフェリカの読取機は十万円するのに、タイプAなら一万円以下で設置できるとも聞く。
これが諸悪の根源でしょうね。

クレジットカードについては前著と同様に、
この信用格差社会では、メインカードは絶対にプレミアムカードを持つべきであり、これはとくに強調しておきたい点だ。
と主張していますが、これにはまったく同意できないです。クレジットカードは現金よりも便利でお得な決済の道具にすぎないので、実質を伴わない「プレミアム」に余分な金を払うのは馬鹿げていると思います。