2015年9月24日

『あ、「やりがい」とかいらないんで、とりあえず残業代ください。』 日野 瑛太郎 (著)



図書館で予約してから半年以上かかってやっと回ってきた人気本です。
著者名に見覚えがない場合、脱社畜ブログの中の人、と言えばピンと来る人もいるでしょう。

p.162-163
 大切なのは、世間の評価基準ではなく自分の評価基準です。
(中略)
 あなたの人生を生きるのは、あなた以外に誰もいません。
 だから、あなたにとっての幸せは、あなた自身が主観で考えればいいのです。
(中略)
 あなたに価値観を押し付けてくる会社も、上司も、同僚も、しょせんは他人にすぎません。
 他人の人生を生きるのは、人生最大の浪費です。
 もっと自分の価値観に正直に、自分のために生きましょう。
良い言葉ですね。全面的に共感します。
会社員やってる間は気付きにくいことですが、会社関係で出会う人たちってほとんどみんな似たような労働観、人生観で固まってますからね。自分にとって何が幸せかを真剣に考えず、ただ空気を読んで周りに合わせるだけの生き方をしていると、いつの間にか自分も「世間の評価基準」に基いて動く人になってしまいます。

p.164 おわりに
ここまで読んで、
「なんだ、全部あたりまえのことじゃないか」
と思った人もいるかもしれません。
その人の認識は、完全に正しいです。
はい、全部当たり前のことだと思いました。そういう意味では、半年も待った割には読み応えのない本でした。当たり前すぎる内容だと、ブログに引用してもコメントが「そうですね」的な同意以外に書くことがないので困ります。

 この本の目的は、1人でも多くの人に会社独自のいわゆる「社畜」的な価値観から脱却してもらい、「あたりまえ」のことを「あたりまえ」だと認識してもらうことにありました。
そうですね。
脱社畜ブログの読者であれば内容が被っているので、あえて本書を読む意味はないでしょう。

2015年9月18日

30代早期リタイアのために「全力リスク運用」は必要か?

さいもんさんのブログより。
超早期リタイアなら全力リスク運用が基本│ひとり配当金生活
30歳代での超早期リタイアを目指すなら資産運用は全力でリスクを取るのが基本です。
30代と言っても30歳と39歳ではだいぶ違いますね。
私のイメージでは30歳ならまだ超を付けてもいいけど、35歳を超えてくると怪しくなってきて、39歳だったら普通の早期リタイアだと思います。
ついでに、50代に入ってからだともう「早期」ですらないような気が。それぐらい人生は短く若い時間は貴重なんです。おっと話が逸れました。

最初に記事のタイトルを拝見したときは、
全力リスク運用=リスク資産100%のポートフォリオを持つ
という意味かなと思いました。

それならわかります。本人のリスク許容度次第では無謀な選択にもなり得るものの、39歳で早期リタイアを狙うなら呑気に無リスク資産なんか組み入れている場合ではないだろうと。
因みに現代ポートフォリオ理論では、リターンとリスクの調整はリスク資産(市場ポートフォリオ)と無リスク資産の比率を変えることで行います。期待リターンを最大化するには、それを100:0にすればいいだけです。

ところが、さいもんさんの記事の中身を読んでいくと、どうも全然違ってました(汗
その結果資産を失ったらどうするか?どうするも何も、また金を貯めて最初からやり直すしか無いのですが、
株式投資で成功した人の多くは一回は全財産を失うような経験をしています。
こんな物騒な話が次々と出てくるではありませんか…。
さいもんさんが言うところの「全力リスク運用」とは、全財産を失うリスクを取るという意味のようです。これには驚きを隠せません。

ただしわずかでも成功の確率を高めたのは、資産10倍増を最初から狙っていたのが大きいと思います。
資産10倍増とかサラリと書かれてますが、プラス900%です。これを何年間で? 10年かけていいのだとしても年平均25%です。正直、狙って取れるようなリターンじゃないと思います。

おそらく、さいもんさんのイメージする「超早期リタイア」達成や「株式投資で成功」の基準が、私に比べて遥かに高いレベルなんでしょう。目標とする資産額もリタイア後の支出レベルも。

なぜ全財産を失うリスクを冒してまで超ハイリターンを狙う動機があるのでしょうか。隠れた前提として、収入と支出の差額によって自動的に積み上がっていく資産よりも遥かに速いスピードで資産を増やしていかないと目標に到達しない、という事情があるのではないかと推察します。目標が身の丈に合っていないという意味でもあり、逆に言えば、目標の割に収入が少なすぎるand/or支出が多すぎるという意味でもあります。

因みに私の独自基準では、現在何歳であってもACRが平均余命を上回っていればリタイア可能です。極端な話、まだ30歳でも支出が寝太郎さんレベルなら1300万円で足りる計算になります。超早期リタイアだからと言って必ずしも莫大な資産が必要とは限らず、すべては本人の支出レベル次第なのです。30代でのリタイアを狙うなら、投資で一山当てるという発想よりも、支出レベルを下げる方がより確実な効果が期待できると思います。
関連記事:
『年収200万円からの貯金生活宣言』
こんなタイトルの記事が目に止まりました。 分散されたポートフォリオで早期リタイアするのは極めて困難:インデックス投資と労働で経済的自由を目指す:So-netブログ 私の頭にある常識とは正反対の結論なのでちょっと驚きました。中身を見てみましょう。  株式投資で分散されたポートフォリ...
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なんか既視感があると思ったら、こんなのもありましたね。
貧乏人はリスクを取らなければ金持ちになれない | 日刊SPA!
分散投資を考えるのは、1000万を超えてからの話。玉砕覚悟で資産10倍、20倍増を狙う姿勢が大切です。元手が無くなったらまた貯めて出直せばいいんです
いやいや、そんな無茶な。
この理屈だと、玉砕覚悟で全財産で宝くじを買うことだって正当化されません? 10倍20倍どころか、1本当たれば即3億円ですよ。

金持ちになる可能性が有るか無いかという二分法で単純思考してしまうと、このようにリスクや期待値を度外視したおかしな結論になることが多いと思います。

2015年9月12日

長生きリスクと早死にリスク

cubさんのブログより。
無職への道 40代で一区切り
健康寿命はあなたが思っているよりずっと短いですよ
大体、男性で70代前半
簡易生命表から自分の寿命を考えよう
最近は老後破綻やら下流老人などぶっそうな話がゴロゴロ出てきていますが
そんなに老後が不安ですかね
だって、誰でも必ず死ぬんですよ
老後破綻が心配・・3000万円あっても破綻する、年金を沢山貰えるためには、出来るだけ長く働こう
自分だけは100歳まで生きると思っているのですかね?
心配しなくてもあなたは100歳まで生きません
同感です。
メディアが煽っているせいだと思いますが、最近は長生きリスクを過剰に恐れる傾向に拍車がかかっているような気がします。

メディアの煽りで不安を感じたら、cubさんの別記事でも取り上げられている簡易生命表を冷静に眺めてみましょう。

平成25年簡易生命表(男)

年齢40歳の行の生存数を見てみましょう。
まさか、40歳のあなたが今生きていることが当たり前と思ってませんよね?
40歳まで生き残っているのは10万人中98,115人。つまり不運な1.89%の同級生は既にこの世に存在しません。大体クラスに一人弱の割合。おっと話が逸れました。

次に100歳の行。
生き残っているのは10万人中わずかに1,493人。
40歳男性が100歳まで生きる確率は、
1,493/98,115=1.52%

では40歳男性が50歳になる前に死ぬ確率は?
50歳の生存数が96,385人なので、
(98,115-96,385)/98,115=1.76%

100歳まで生きる確率より少し高いものの、ほぼ同レベル。

なので、100歳まで生きてしまったらどうするのかと老後の備えを万全にしようとする人ならば、それと同時に、50歳までに死ぬ場合に備えた行動は取らなくてよいのだろうか、という疑問が出てきます。
発生確率が同程度の二つのリスクがある場合に、どちらか一方には備えるけど他方は無視して何もしない、というのはバランスを欠いた行動に見えます。

このバランス感覚の欠如、どこかで見たような気が。
そう、宝くじの高額当選確率と、交通事故で死ぬ確率です。
後者が前者の40倍程度なのに、認知の歪みによって正しい評価ができないという話がありました。
関連記事:『残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法』橘 玲 (著) その2の真ん中あたり。

二つのリスクに対する私の考えは、どちらにも万全の備えをするのは無理があるし相互矛盾を生ずるのだから、両者のバランスをとりつつ程々に備えればよいと思っています。

長生きリスクによる老後不安への向き合い方については、既にこちらに書いた通りです。
前回の記事、 リタイアに型というものがあるならば に次のようなコメントがありました: 人間には寿命があるのですが、その寿命がいつ尽きるのかは誰にも分からないのが問題なのでしょう。 自分はいつ死ぬか分からない。 しかし、資産は確実に減っていく。 寿命が尽きる前に資産が尽きてしまった...
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早死にリスクへの備えは、早期リタイアそのものが私の答です。
平均寿命まで生きたとしても短い人生。もし早死にしても後悔しないためには、やりたくもない仕事で時間をお金に換えている場合ではありません。やりたいことだけをやる人生にできるだけ早く移行すべきだと思います。

2015年8月6日

アウトバーンと自由主義

調布飛行場の事故の件でアクセスを集めている記事。

調布飛行場の墜落事故(2015.7.26)の原因は分かっている|Bokensdorfのブログ
ですから「飛行場の危険性」をあげつらうのは的が外れている。この事故の原因は飛行場ではないからです。
納得しました。
たいへん説得力のある良記事だと思います。
マスメディアの「珍しい事故ほど熱心に報道する」バイアスにやられて日頃から飛行機のリスクを過大評価しがちな人には、ぜひ一読をお勧めします。

Bokensdorfさんの過去記事をざっと拝見したところ、他にも面白い記事がたくさんあって、宝の山を見つけた気分です。

特に面白かったのがアウトバーンシリーズ。
13. 日本とドイツ 生活の質の違い/アウトバーン|Bokensdorfのブログ
アウトバーンは先進国で唯一速度制限のない高速自動車専用道路である。

しかし実際に走ってみると、
色んなところで速度制限標識が出ている。
(中略)
アウトバーンでは追い越し車線と走行車線が完全に守られている。
(中略)
これが保証される事は自分を含めて全体の利益になることだから全員がよく守る。
このことと関連して、高速道路の出口は必ず右にある。
(中略)
このように見てくると、
アウトバーンというのは、
速度制限のない無法地帯というのとは対極の、
あらゆる規則を徹底的に配置した上で初めて成立している場所であることが分かる。

規律の上での自由であり、
東名高速道路から速度標識を取り除いたらアウトバーンになるなどというものではない。
なるほど。すごく合理的というか、洗練された大人の社会だなと思います。

必要最小限の規則を守る不自由を受け入れてこそ、速度無制限という自由が守られているわけです。
その点でアウトバーンと自由主義って似ているかも。中身を知らない人からイメージだけで「無法地帯」と誤解されるところとか、そっくりじゃないでしょうか。

13. 日本とドイツ 生活の質の違い/アウトバーン-3|Bokensdorfのブログ
日本ではスピード=危険=悪という単純図式である。

世の中にはまったく違う価値観で成立している場所があるという事を日本人に知らせるには、アウトバーンは良い見本である。
(中略)
急ぐ車には先に行ってもらう。
全体の流れも良くなる。
ドライバーの高い安全意識と道路交通システムと車の安全性能がそれを支える。

何も早く行きたい人の足を引っ張る必要は無い。

アウトバーンは国際結婚と関係無さそうなのにここまで長々と書いたのは、実は「個人」というものの成り立ちが日本とドイツではおおもとから違うのでは無いかという事をこの頃考え始めたからである。
確かに両国の道路や交通ルールの違いに着目すると、リスクとコストのトレードオフや、個人の自由をどこまで制限すべきかという点で、価値観が根本的に違うことがわかります。

トレードオフの観点で言えば、日本の交通行政って、たとえば交通量の少ないT字路などにもすぐに信号機を設置するなど、とにかく事故のリスクを減らす方向しか考えていないこと、その代償として失われる信号待ちの時間とか燃料のコストをほぼ無視しているか、空気のように軽いものとみなしているのが特徴だと思います。

信号機と言えば、日本の十字路は両方赤の時間が異常に長いと思いませんか。赤に変わってから突っ込んでくる無法者があとをたたないから安全マージンを長めにしたつもりなんでしょうけど、青に変わるまでの時間が長いと見るや、ますます赤で突っ込んでくる車が増えるという悪循環。結局安全マージンは変わらず、正直者の待ち時間が増えただけで何の改善にもなっていません。

他にも制限速度をやたら低めに設定しておいて、実際はそれより緩い基準で取り締まりを行う慣習も、合法と違法の境界線をわざと曖昧にして行政の裁量権を拡大する、いかにも日本的なやり方です。アウトバーンのように、すべての人が必要最小限のルールを厳守することによって安全と効率の最適化を目指す価値観とは程遠いと思います。

個人の自由という観点でも、ドイツでは自由の制限を最小限に留める意識が常にあり、その最小限のルールがよく練られている印象です。自由を制限するケースはあくまでも例外的な扱いになっていると思われます。
それに対し、日本では公共の安全という錦の御旗さえ振りかざせば、個人の自由なんてものはいくらでも気軽に制限してよい、という全体主義思想が透けて見えます。どちらかと言えば、原則禁止だが例外的に個人の自由をお上が「認める」という扱いになっている物事が多い。調布飛行場の事故で言えば、実質的には遊覧飛行だったのに誰がそんなものを「認めた」のだ? みたいな批判が自然に口をついて出てくるのは、自由軽視の思想が骨の髄まで染み付いている証拠だと思います。

なぜ日本に自由主義が根付かないのかと考えたとき、こんな風に価値観が完全に反転している人が圧倒的多数派であることが根本原因ではないかと思えます。ガメさんのツイート参照。



2015年7月18日

『素直に生きる100の講義』 森 博嗣 (著) その4



その3の続きです。

p.190
日本という国は、税金で集めた額のほぼ倍の金を使っている。
(中略)
こういう話をすると、「税金の無駄遣いをなくせ」という話になるが、倍ですよ、倍。無駄遣いとか節約どうこうという額ではない。公務員を減らすとか、そういう額では全然ないのだ。
たしかに政府は気が遠くなるほど分不相応な浪費をしていますね。
ですが、どうしてこんなことになったのかを突き詰めていくと、やっぱりありとあらゆる無駄遣いの蓄積なんですよ。その中でも大ボス級の無駄遣いは社会保障費で、年金にしろ、健康保険にしろ、公金を注入する必然性が全く無いものに莫大な金を浪費し続けるという愚策。

p.191
(国民年金や税金の前納割引制度を指して)
そうやって、金を少しでも早く集めようとしているわけだ。
二年分を前払いで納めさせれば、今年の「売り上げ」が倍になる、という決算をするのである。国債を発行して、予算を倍にするのと同じ理屈だ。さきざきのことを考えたら、全然得ではないのに、今が良ければ良い。政治家はみんなご年配だから、自分が生きているうちは、金が回っていれば、それでやっていける、と考える。将来のことなんか知らないよ、というわけだ。それは、「今の若い者がまた考えろ」ということなのか。
年金や税金の前納分って、ほんとに納付した年の売り上げに計上されているのでしょうかね。もしそうだとしても、全員が一斉に前納しないと倍にはなりませんが…。

「将来のことなんか知らないよ」という政治家の態度は、バラマキをこよなく愛する有権者たちの醜い姿が鏡に映っているだけです。多数派の政治的暴力によって闇に突き落とされた将来世代は、さらに厳しい受難の時代を迎えることでしょう。

 年金などは、明らかに「ねずみ講」である。国がやっていることだし、国民がみんな参加しているし、利回りがそれほどでもないので、破綻するまでに時間がかかった、というだけだ。まあ、破綻したら、また国債を発行すれば良い、と考えているのだろう。
年金はねずみ講に同意。
強制参加なら我慢するしかないですが、参加しなくてもいい状況なら参加しないに限ります。
「破綻したら国債発行」とか呑気に構えている段階ではなくて、既に実質破綻しているし既に借金で回しているのが現状です。

 民主主義というか、資本主義というのか、つまりは、今の社会は、こんなふうに破綻するのかな、というイメージがだいぶ現実的になってきた。ギリシャやイタリアをよく見ておこう。
民主主義はともかく、この文脈で資本主義を持ち出すのは筋違いでしょう。関連記事:
貧BPさんのブログより。 ギリシャ金融危機に関して | 貧BPの人生オワタ\(^o^)/旅 : 資本主義の矛盾のしわ寄せを一気に押し付けられ、庶民としてはまさに迷惑千万の事態と言ってよいでしょう。 ギリシャ政府の財政危機の話に、初っ端から「資本主義の矛盾」という言葉が出てきたので...
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ギリシャの例を見るまでもなく、国債が頻繁にデフォルトしている国はいくらでも存在します。国家の財政って放っておくと自然に破綻に向かうものなんだな、という物理法則が学べます。

歴史に学ぶなら、財政破綻を防ぐためにどうすべきかを必死に考えるのではなく、もし政府が財政破綻したら生きていけなくなる、というような政府依存型の人生設計をしないことが肝要だと思います。