こんにちは 私は今49歳。 誕生日が来れば50歳になるアラフィフだ。 アラフィフ、あんまり連呼したくない言葉だね。 アラサー、アラフォーくらいまでは良いけどアラフィフくらいからジジイ臭がしてくる気がしている。…
概ね同意です。
「人生100年時代」という言葉に代表される、早死にリスクよりも長生きリスクが妙に過大評価される風潮には違和感がありますので。
ただ、最後の部分は少し引っかかりました。
でもね。老後に国の福祉に頼らないで生きようとすると、残された選択肢は「自分の経済力だけで」生きていくしかないのでしょうか?
80歳過ぎて何かの要因で生活費を賄えなくなってしまったら、国の福祉に頼ることもやむを得ないと私は思うよ。
自分の経済力だけで90歳100歳まで生きないといけない社会って、どこか歪んだものだと思うから。
その2つ以外に選択肢は無いかのような前提があって、「故に、公営福祉は無くせないしコストの強制負担もやむを得ない」という結論が隠れているように思えたので、違和感がありました。
本来はそんなに選択肢が狭いこともなくて、べつに子供や親族に頼ってもいい(昔はそれが当たり前でした)し、公営ではない民営の年金保険に加入してリスクヘッジしてもいいですよね。
そんな(親を扶養したり、保険料を払う)余裕なんてあるわけ無いですって? それは、既に公営福祉制度によって他人の親を含む老年世代全体を扶養することを強制されていたり、民間のローコストな保険商品の供給が妨げられているからではないのでしょうか。
国の福祉こそが経済的余裕を奪っている犯人であるとき、「経済的余裕がなくて個人では老後の備えができないなら国の福祉に頼るのもやむを得ない」というのはたいへん奇妙な話に見えます。いわゆる循環論法? lunaさんの記事でここまで明言しているとは思いませんが、同様の主張はブログやツイッターなどでもよく見かけます。
ここは素直に、原因Aのために問題Bが発生しているのだから、Bを解決するためにAを取り除こう、と考えるだけでいいのではないかなあと思いました。
参考ツイート:
強制的な年金がなければ若年層の負担が減るし、皆保険制度がなければ無駄な終末医療がなくなる。いいんじゃないの? もっと重要なのは政府のこれらのサービスの独占がなくなれば、様々な民間のサービスの出現が期待できる事だろう。 https://t.co/ZO8MDk9cF3
— Mr.Kite (@iwakura1204) December 9, 2018
国の保険って低品質なのになんでこんなに高くできるんだろう。
— ユキノシバリ (@yukinoshibari) December 8, 2018
私が南米に行くときの海外旅行保険でさえ、年間20万円払えば3000万円までの医療が無償で、死亡障害に動産費用や弁護費用の特約までついて、非常時には通訳までつけてくれるのに。 https://t.co/SwZTkKisHS
徴税され、社会保険料を取られ、加速度的に「個人的に行う備え」が許されなくなっている中で、公営社会保障に依存しなければ生活できない状況を作り出され、「計画が失敗したのでお金が足りません。死んで下さい。」なんて、とんでもない話なんだよ。
— greenwich (@bobbygetshome) December 31, 2018
世の中には保険というものがある。共通のリスクを抱える複数人が保険料を出し合い、リスク顕在化時に保険金が支払われる。
— 冷凍蝦❄️🦐 (@frozenshrimp) November 1, 2018
そしてとても重要な事だが保険を作るのに強制は要らない。
関連ツイート:
多くの人がそう思っているようだけど本当にそうなのかな、っていつも思います。現行制度のための徴税や規制がなければ、もっとコスパの良い民営の保険やサービスが存在していたのではないかなあ。
— 遊民 (@yumin4) November 24, 2018
"介護保険がない時代に比べればまし"
アーリーリタイアと介護生活 2018/11https://t.co/LvZO5Yu6qW
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