2009年2月15日

仕事に対する考え方

うさみみさんの「自分にあった仕事という考え方って?」という記事に便乗して、自分の考えを少し書いてみます。うさみみさんの意見への批判ではなく、多様な価値観のひとつということで。
知り合いの一部上場企業の正社員は、残業がなくなるだけでなく、週1日休まなければならなくなったとのことです。
知り合いの方はこの変化をネガティブに捉えているようですが、人員削減でオーバーワークを強いられる正社員も多い中、労働時間が減るという方向性をもっとポジティブに捉えてもいいんじゃないかなというのが私の考えです。

●責任あるポジションにつきたくない
という考え方というのは、どこから来るのでしょうか?
この考え方は、とてもよく理解できます。私の会社員時代も、いわゆる「出世」はしたくないと考えていました。それがどこから来るのかと問われれば、私の答はこうです。

まず、出世することによって積み増しされる責任+それに比例して増える労働時間などの負担と、増える報酬が釣り合っていないというのが一番でしょうか。特に労働時間の負担がとてつもなく大きくなり、会社から奴隷的拘束を受けることは、現役時代に自分の上司などを見ていて容易に想像できました。

また、たとえ見かけ上の年収を増やしても、増えた分の3割は税金や社会保険の支払いに吸い取られると考えれば、なおさら割に合わない気持ちになります。

「自由」には「義務」がついてまわることも忘れていないかとも感じます。
一般に自由とは義務から解放された状態を指すので、ついてまわるのは「義務」ではなく「責任」が正しいと思います。

誰に強制されることもなく、自己の自由な意思に基づいて行動したのであれば、それによって生じた結果も自己責任であるという、こうして改めて書いてみると至極当然な気がする原則ですね。文脈から察するに、うさみみさんもたぶん同じ趣旨のことを言っているものと思います。

余談になりますが、「自由と責任」と同様に対で語られることが多いのが、「権利と義務」です。たとえば権利を行使しようとする人に向かって、「権利を主張する前に義務を履行せよ」と言う人がいますが、これは誤用であることが多いです。権利は権利であって、必ずしも義務を伴っているとは限りません。「権利行使の前提条件は何らかの義務の履行である」という誤解が一人歩きしているフシがあります。

仕事からの収入が人生を大きく左右することを考えると、特に考えたことがないって人は、考えている人に比べて差が付いても仕方がないかもしれません。
確かに収入も人生を左右しますが、それを得るために失うものも人生を大きく左右するかもしれません。トレードオフをどこまで許容するかは、人それぞれの人生観によってまったく違ってくるでしょうね。

仕事は幸福になるために考えられる様々な手段のひとつであり、仕事に軸足を置かない人は勤務時間以外に仕事のことを特に考えたことがなくても不思議ではないと思います。もちろん、その結果として収入に差がつくのは自己責任です。

1 件のコメント:

  1. TBありがとうございます(^^♪
    非常にクリティカルに効率的?な考え方もあるのだなぁと思いました。
    うさみみとしては、大事な部分は「気持ち」という想いがあるので、こういう風に考える方が「前向き」に取り組めるという方向を中心に考える感じです(笑)
    で、どのこともその人が得られる結果に満足していればそれでいいと思うので、いろんな意見があっていいテーマだと思います。
    こういうことを自分なりに考えることが大切ですね。
    非常に興味深いエントリーでした(^_-)-☆

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