2021年1月15日

法定通貨の「強制通用力」は過大評価されがち









ツイッターより。
このように、法定通貨が持っている「強制通用力」という性質をやたら強調して有難がっている人をよく見かけますが、いつも違和感があります。 「強制通用」という字面のイメージに騙され、その効力を過大評価しているのではないでしょうか。

参考記事:
強制通用力(きょうせいつうようりょく)とは、貨幣において、額面で表示された価値で決済の最終手段として認められる効力をいう[1]。
たとえば、1万円の値札が付いた商品をレジに持って行って1万円札を差し出すと「決済の最終手段として認められ」るから売り主は受け取り拒否できない、ってことなんですけど、そんなの法律に書かなくたって商習慣として当たり前のことだと思いませんか。

自分から1万円の値札を付けておいて本当は日本銀行券なんて受け取りたくないんだ、法的に強制通用力があるから仕方なく受け取っているんだ、なんて売り主がいるんですかね…。

そして、おそらく多くの人が勘違いしてそうなポイントがここ。
なお、貨幣に強制通用力があることは、直ちに取引の成立を強制するものではない点に注意を要する(契約締結の自由、後述)。

元ツイートの「法定通貨は強制通用をどこにあっても100%できる。これが法定通貨の独立自尊の価値」を見たとき、最初の引用部分のように商習慣上ごく当たり前のことを、こんなに評価するのは変だなと思いました。

おそらく彼は法定通貨の強制通用力を、契約自由の原則を上書きする強行規定的な何かだと勘違いしている線が濃厚です。まるで、法定通貨を決済手段として提示したら相手方の意思に反していても取引を強制できる、みたいな意味で「強制通用できる」と言っているように見えます。

ウィキペディアの記述の通り、法定通貨の強制通用力は契約自由の原則を上書きするものではありません。ほら法定通貨で払うって言ってるだろ!強制通用力あるんだぞ!と札束を目の前に積まれても、その取引に応じるかどうかは売り主の任意です。

もちろん、日本銀行券なんて受け取りたくないと思えば、最初からドルや暗号通貨で価格を表示するのも自由です。仮に日銀券の信用が失われ、かつてのジンバブエ・ドルのように価値が急速に下がっていくとしたら、そんな世界に従来通り価格を円で表示してくれる売り主がいるのだろうかと、想像してみてください。日銀券を受け取りたくない人に日銀券を提示しても売買契約は成立しないので、強制通用力を行使できる場面はありません。

結局のところ、いくら法定通貨を持っていようがそもそも売買契約が成立しなければ何も買えない、という点は暗号通貨と全く同じです。有事の際に強制通用力なんて何の役にも立ちません。強制通用力を根拠とする元ツイの「法定通貨はリスクがない」は誤りです。

通貨の価値とはそれを使う人々の信用に依存する無常なものであって、法定の有無によってその本質が変わるわけではないと思います。

参考ツイート:


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