2016年5月28日

金銭の支払いを「とられた」と感じるとき

opalさんのブログより。
オカネを払ったり、納めたりすることを「とられた」って言うひとがいて、モヤっとします。なんで払った、納めたって言わないんだろ?とられた=取られた?盗られた?街を歩いてて、いきなりお財布をひったくられてしまったら、それはまったくもって「とられた」だなあと思います。1000円(税込)って表示してあったのに、実はその表示は間違いで1080円(税込)でしたって後から言われたらそれもまた「とられた」って言っていいと思...
opal10opal.blog.fc2.com
オカネを払ったり、納めたりすることを「とられた」って言うひとがいて、モヤっとします。なんで払った、納めたって言わないんだろ?
私もその表現をよく使う一人なので、なぜ「とられた」と言いたくなるのかを私なりに解説してみましょう。その理由は案外単純かもしれません。

不本意であるってかんじがするんだよね、とられたって。
ええ、まさにその支払が「不本意である」からそういう表現になるんです。それを聞いたopalさんがそう感じるなら、払いたくないという意思が誤解なく伝わっている証です。本意であると誤解されるよりは好ましいことだと思います。

opalさんがモヤっとするポイントがいまいちよくわからないんですが、なぜ支払い義務の履行を不本意だと感じるのか、または、不本意なのはわかるけどなぜそれをストレートに表現するのか、ってことなのかなあ…。

私が支払いを不本意だと感じるのは、そこに合意が無いときです。
自由主義の観点からは合意の有無には大きな意味があり、本人の意思に反して強制的に義務を負わせることには常に敏感でありたいし、その正当性には懐疑的な姿勢でいたいと思っています。

通常、金銭の支払い義務は本人の合意に基づくものです。民法上の契約によって生じる支払い義務では、双方の合意が無ければ契約は成立せず、支払い義務も発生しません。言い換えればある人の支払い義務には必ず本人の合意があります。たとえば普段スーパーで買い物をするとき、商品を買うか買わないかは本人が決めることなので、レジまで持っていった商品の代金を支払うことが「不本意である」ことはあり得ず(消費税分を除く)、代金を「とられた」とは言いません。自分自身が契約に合意したのだからその支払は当然の義務と言えます。

その一方で、
「とられた」っていうからには、その相手はじぶんのオカネを「とった」ってことになる。「取った」かな、「盗った」かな。どちらにしてもずいぶん物騒な感じ。
ええ、その物騒な感じのお金の流れが世の中には結構ありまして、税金や社会保険料はその典型かと思います。相手の合意なしに問答無用で支払い義務を課し国家権力で履行を強制する行為は、お金を「盗った」と表現するのがぴったりではないですか。本物の強盗との違いはその行為が合法であるという点のみです。

一切合意した覚えがないのに一方的に負わされた債務を、当然の義務と言うには無理があると考えます。それを履行する際に悪態の一つぐらいついてもバチは当たらないでしょう。「とられた」と呟くだけで済ませているならかわいいものです。

関連記事:(合意の有無からみた企業と国家の本質的違いについて)
Kindle版 2009年4月、私は不況のまっただ中に、社内の政治闘争に疲れ果ててアップルを退職することになりました。アップルを辞めて気が付いたこと、それはアップルのような企業の中枢に勤めるごく一部の人々が消費や生産の仕組みを創り、そうした仕組みの中で、選択の余地もなく消費せざ...
yumin4.blogspot.jp

0 件のコメント:

コメントを投稿