良書です。
もし自分が終末期を迎えたら、著者のような専門医に見届けてもらいたいと思いました。
単純な話だが、明日死ぬかもしれないと思って生きてきた人間は、後悔が少ない。明日死ぬかもしれないと思う人間は、限られた生の時間を精一杯生きようとする人間であり、一日一日に最善を尽くそうとする人間である。一期一会を思う人間である。私の場合、明日死ぬかもしれないという可能性については常に頭の片隅には置いていますが、それに対して何か具体的な備えをしているかと問われれば、ほとんど何もしてないですね。そんなことはまだ考えたくないというのが本音です。
でも30代半ばを過ぎた頃から、「限られた生の時間」を明確に意識するようになったのは確かです。ふと気付けば、そろそろ人生の折り返し地点に差し掛かっているじゃないか、と。早期リタイアをイメージし始めたのも、ちょうどその頃でした。
まあ今の自分なら、万が一明日死ぬことがあってもそれほど後悔することはないだろうと思っています。仮に今でも現役会社員として家と会社を往復する毎日を過ごしていたら、決してそうは思わなかったことでしょう。
ある食品や怪しい医療で「がんが治った話」を純粋に聞いていると、簡単に騙される。世の中そんな甘い話はないのだ。同感です。
患者やその家族の「わらにもすがりたい」気持ちにつけ込む商法には、くれぐれも引っかからないように注意する必要があります。そのような気持ちは、死期が近いという冷徹な事実を真っすぐに受け入れられないことから生じるものだと思います。そうならないためにも、できるだけ後悔を避ける生き方が望ましいのです。
我慢し続けて良いことなどこれっぽっちもないと思う。もっとも昨今の若者は我慢が一様に足りないと思うので、あくまで読者のみなさんが40代以上の場合である。賛同します。
自分勝手の自由ではなく、自らよって立ち、何ものにも束縛されない真の自由に生きる人間は本当に強い。心の部屋に清涼な風が吹き込むように、窓をいっぱいに開けて己がしたいように生きるべきだ。
とにかくいまわの際には、自分に嘘をついて生きてきた人間は、必ず後悔することになろう。
著者の友人の
「結局人は塵になるんですよ、宇宙の塵に。僕はどうしてもそう思ってしまう。一切の幻想を許さないんだ。科学者としての冷徹な目で見てしまうんだよ」という言葉にも共感しました。
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