2014年9月10日

『諦める力 〈勝てないのは努力が足りないからじゃない〉』 為末 大 (著) その4



その3の続きです。

 スポーツをやっていると本物に出会ったとき、自分の限界をはっきりと知ることができる。本物と自分のどうにもならない「差」を認めたうえで、今の自分に何ができるのかということを考えるきっかけをもらえる。
自分の限界を知る機会の多さはスポーツ選手ならではの利点と言えるでしょうね。
運動能力以外の場合は自分の限界を知る機会はずっと少ないはずなので、もし人生の早い段階で何かに挫折するなどの経験をしているのならば、貴重な財産になると思います。

 究極の諦めとは、おそらく「死ぬこと」だと思う。ただ、その前の段階に同じぐらい大きな「老いる」ことを通じて、多くのことを諦めなければならない。いくら努力しても人は必ず死ぬ。
その通りで、努力ではいかんともしがたい事の中で、最もわかりやすい例が死、そして老化です。

 僕の現役時代の最後の四年間のコンセプトは「老いていく体でどう走るか」ということだった。ここでいう「老い」とは、アスリートとしての身体能力の低下である。普通に「年をとる」感覚とは少し異なるのかもしれない。
ただ、まったく同じなのは、どこかで価値観を劇的に変えないと、自分ではどうすることもできない自然現象にずっと苦しめられるということだ。その苦しみから逃れるためには、「どうしようもないことをどうにかする」という発想から、「どうにかしようがあることをどうにかする」という発想に切り替えることしかない。
分かります。
アスリートでなくても、人生後半に入ると「老いていく体でどう生きるか」を考えることになります。そのときに努力で老いを何とかするという発想を捨てられない人は、苦しい思いをすることになるでしょう。この本に出てきた、体があちこち痛むのを年のせいにしたくなくて医者にないものねだりをする老人たちみたいになってしまいます。

「仕方がない」
僕は、この言葉に対して、もう少しポジティブになってもいいような気がする。「仕方がない」で終わるのではなく、「仕方がある」ことに自分の気持ちを向けるために、あえて「仕方がない」ことを直視するのだ。
人生にはどれだけがんばっても「仕方がない」ことがある。でも、「仕方がある」こともいくらでも残っている。
同意します。
仕方があるのかないのかはっきりしない領域でやってみるのはまあいいとして、明らかに仕方がないことだとわかっていながら、いつまでもその事に執着するのは人生の浪費だと思います。

人生は早めに諦めよう! - Chikirinの日記に書いてあるように、日本人の不幸の原因の大部分は「諦めるのが遅すぎるから」の一言で説明できる気がします。改めて読み返すと、本書と共通する部分も多い良記事ですねこれは。

本書の「おわりに」に書かれていることがまた素晴らしい内容で、ほぼ全文引用したくなるのをぐっとこらえて。
 実際、僕は死ということをよく考える。死んだら人生は終わりだが、もともと存在しなかった人間が生まれ、ある時間を生き、また無に帰っていくと考えると、ただ「もとの状態」に戻るだけだという気がする。
死んだら無に帰るという死生観は日本人の中ではさほど珍しくはないようですね。私も同じです。輪廻転生のような死生観と比べて、いろいろなことをシンプルに考えられるのが利点だと思います。

最後には死んでチャラになるのだから、人生を全うしたらいい。そしてそこに成功も失敗もないと思う。
たかが人生、されど人生である。
「人生を全うするとは何か?」
考えだすと本が一冊書けるような深いテーマで、どこを探しても正解は無いでしょう。人それぞれ自分の人生と向き合う以外にありません。
私はシンプルに、とにかく人生を楽しむことかなと思っています。

 僕は人生において「ベストの選択」なんていうものはなくて、あるのは「ベターな選択」だけだと思う。誰が見ても「ベスト」と思われる選択肢がどこかにあるわけではなく、他と比べて自分により合う「ベター」なものを選び続けていくうちに「これでいいのだ」という納得感が生まれてくるものだと思う。
人生は選択の連続という話はその1で書いた通りです。ベストな選択かどうかを気にして結局何も選択できない(現状維持の選択をする)人は、こういう気の持ちようによって自分の未来を変えることができるかもしれませんね。

「夢はかなう」
「可能性は無限だ」

こういう考え方を完全に否定するつもりはないけれど、だめなものはだめ、というのも一つの優しさである。自分は、どこまでいっても自分にしかなれないのである。それに気づくと、やがて自分に合うものが見えてくる。
諦めるという言葉は、明らめることだと言った。
何かを真剣に諦めることによって、「他人の評価」や「自分の願望」で曇った世界が晴れて、「なるほどこれが自分なのか」と見えなかったものが見えてくる。
続けること、やめないことも尊いことではあるが、それ自体が目的になってしまうと、自分というかぎりのある存在の可能性を狭める結果にもなる。
前向きに、諦める――そんな心の持ちようもあるのだということが、この本を通して伝わったとしたら本望だ。
「おわりに」の締めくくりに書かれているこの文章が、本書の要約と言えるでしょう。
ええ、十分に伝わりましたとも。
日本人に心に足りないパズルのピースを埋めてくれるような良書に仕上がっていると思います。

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