2015年11月2日

『持たない幸福論 働きたくない、家族を作らない、お金に縛られない』 pha(著) その5



その4の続きです。

p.064
人間の脳には繁殖を有利にするような行動パターンが遺伝子によって刻み込まれている。例えば性欲や、子どもをかわいいとか育てたいとか思う気持ちなどがそうだ。
だけど人間は、遺伝子に組み込まれたプログラムに従うだけの他の動物に比べてそれほど行動パターンがきっちりと定められていなくて、人生の中でそれぞれがいろいろな変なことをする。
(中略)
人間の行動は遺伝子に全てが決められるのではなくて後天的に受け取る文化などによって形作られる部分がかなり大きい。そうして人間は単にメシを食って繁殖するだけの生き物であることから抜け出して、言語や文化や思想などを作り上げて、他の動物にはできないような複雑な生を生きるようになった。
この特徴こそヒトが高等生物である所以。
逆に言うと、こういった複雑さに乏しく、ひたすら本能の命ずるままに行動することを優先する生き方に、人間らしさは感じられません。

かなり昔の記事で、「単に本能的な欲求を満たすだけの行為なら無いほうがマシ」みたいなことを書いた記憶があるのですが、今でもそう思ってます。
関連記事:『自由をつくる自在に生きる』 森 博嗣 (著)
やはり私の考え方は森博嗣先生とのシンクロ率が高めのようです。

p.065
 遺伝子から見れば、生物というのは遺伝子をコピーして増やすための乗り物に過ぎない。自分を運んでいる生物がどんな生き方をするか、楽しく生きられるかどうかは遺伝子にとってはどうでもいいことだ。
確かにその通りです。
だからこそ、遺伝子に乗り物として利用されるだけの一生なんて御免被りたい、遺伝子の都合ではなく私という個体の幸福を優先させる生き方をしたい、と強く思いますね。遺伝子から見たら、とんでもない変種の個体に乗っかってしまって失敗したなと思ってるでしょうけど。

p.068-069
「宇宙から見ればどうでもいい」という言葉を僕はよく思い出すようにしている。
宇宙の持つ数百億年という膨大な時間と数百億光年という膨大な空間の中では、自分という人間が何をやってどう生きようがケシ粒みたいなどうでもいいことだ。全てはほんの一瞬の些細なことに過ぎない。
同感。良い言葉、良い世界観だと思います。
全てがどうでもいい些細な事であるなら、あれこれ悩まずに自分の好きに生きればよいだけではないかと、非常にシンプルな人生観をもつことができます。

(つづく)

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