第2章あたりまでは良かったのですが、途中から話が変な方向へ脱線したように思えてきて、微妙な読後感が残る本でした。Amazonのレビューも賛否両論のようです。
役に立ちそうな記述をメモしておきます。
科学の法則は、ある特殊な状況のみで成立するのではなく、普遍的な条件下で一般的に成立することが示されねばならない。また、異なった条件下であっても現象の予言ができ、それを実証したり反証したりできる手続きを提示することが可能だ。そのような要件を欠いたものは、すべて疑似科学とは言わずとも、少なくとも科学の範疇には入らない。
人間には、体験によって「情報を得る」という段階と結果的に「信じる」という段階の間に「認知」という情報処理過程があり、その過程で生じるさまざまなエラー(錯誤)のため誤った信念に導かれる可能性があるのだ。また、エラーだけでなくバイアス(偏向)もある。
推論の段階で、ある目立った事柄二つが続けて起こると、ただ目立つという理由でその二つを結びつけて考える癖がある。この二つに関連があると推論してしまう傾向で、「関連性の錯誤」あるいは「相関の錯覚」と呼ばれている。
相関があるとなると、それを因果関係で結びたくなるのが人間である。それによって事柄の関連がすべて説明でき、めでたしめでたしとなって安心できるからだ。とはいえ、相関関係があるからと言って、必ずしも因果関係であるとは限らないからちゃんと吟味する必要がある。
テレビは科学と疑似科学の見分けがつかない人々を養成していると言わざるを得ない。
話が脱線していると感じたのは、
まず第3章で、インターネット上の言論が自己中心主義を助長し、匿名掲示板が無責任体質を許容すると非難した上で、
インターネットによって「瞬間」で世界とつながることに馴れると、時間を使う営みが時代遅れに見えてしまう。疑いを持ち、考え得るすべての可能性を検討する時間を無駄とみなし、直ちにシロ・クロの決着を明確につける方を高く評価する。(略) それは疑似科学との相性が良いことを意味している。という、かなり強引な主張を展開しているあたりです。
さらに第4章で、
第三種疑似科学は、これら複雑系に関わる問題で、それを要素還元主義の考え方で理解しようとすることからくる誤解・誤認・悪用・誤用などを指す。要素に分解してもわからないことをもって「科学的根拠なし」と断定したり、要素がプラスにもマイナスにもはたらくことをもって「どちらとも言えない」と不可知論に持ち込む手口である。と定義しているのも妙です。
複雑系ゆえに科学の限界を超えていて、今はまだ結論が出せない事柄について、「科学的な真偽は不明である」と考えることは妥当であり、それ自体のどこが疑似科学なのかわかりません。著者が繰り返し主張する「予防措置原則」の正当性を導くために、無理やり疑似科学の一種ということにしたのではないかとさえ思えます。
読書するには、その読み方が三通りあると聞く。 一つは、ただストーリーだけを追って読む。 二つには、時代的背景、社会情勢を考えながら読む。 三には、作者の思想、意図など、作者自身の人間を、洞察して読む。なかでも、とくに大事なのは三番目で、そうでないと、作品を十分に理解することはできない。 すべての著作は、これを読む人との対話であり、著者と読者との共同作品でもあると、自分は思う。
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