サブプライムローン問題について詳細に分析しつつ、バブルの発生メカニズムや経済政策などについて考察する本です。
序文が「あとがき」のような形のまとめになっているのですが、その中で経済学者フランク・ナイトの興味深い思想を紹介しています。
発生確率が予想できる危険を「リスク」といい、それが予想できない危険を「不確実性」というというのが、今日の標準的な用語法にもなっている「リスク」と「不確実性」についての彼の考え方である。この区別というか用語の使い方がちょっと変だなと思ったのは、リスクも広義の不確実性の一種であるにもかかわらず、確率が予想できるので「不確実性」には含まれないという点です。「不確実性=確実でないこと」という国語的な意味から、狭義の不確実性の概念をイメージすることは難しいと思います。
彼に言わせれば、価格を引き下げてライヴァルから市場を奪おうとして企業が鮮烈な競争を展開している「市場」において、企業家は確率予想のできない危険、すなわち「不確実性」の領域に踏み込むことによってのみ「利潤」を得られる。つまり、「リスク」の領域に踏み込むことでは「利潤」を得ることができないと言っているのですから、企業家だけでなく、利潤の分け前をいただくつもりで「リスク」を引き受けている投資家にとっても衝撃的な結論です。
なぜなら、事業にかかわる危険が、確率予想のできる「リスク」だけであるならば、事業についての収入と生産費の期待値が計算できてしまうからだ。そうだとすると、収入の期待値が生産費の期待値を上回り、平均的には「利潤」がその事業に見込まれるという場合には、企業間の熾烈な競争が継続するだろう。その結果、収入の期待値は生産費の期待値にまで下がって、平均的には「利潤」は消滅せざるをえないのである。企業も投資家も、利潤の期待値がゼロになるまで事業や投資を継続するとは考えられません。どれだけ正確に確率と期待値を予想できたとしても、それによって利潤が平均値から乖離するリスクが消え去るわけではないので、引き受けるリスクに見合った利潤が期待できる時点で競争が均衡すると思われます。
利潤ゼロで均衡するのは、リスクが存在しない場合の話ではないのでしょうか? 彼がここで「リスク」と呼んでいる概念が、不確実性の対義語である「確実性」、つまり「ノーリスク」とほとんど同義ではないのかという疑いを払拭することができません。
いきなり序文でこの疑問に遭遇したので、その根拠を求めて本文を斜め読みしてしまいましたが、詳細は書かれていませんでした。
ほかに面白いと思ったのが、紙幣バブルの話です。
紙幣とは政府の「借用証」に他ならないなるほどと思いました。
(中略)
政府の「借用証」などは市場価値がゼロの「ただの紙切れである」。
(中略)
言い換えれば、「紙幣」は、ファンダメンタルな価値(ほぼゼロ円)と乖離した「バブル」が発生することによって初めて、経済における有用性が発揮できる。
円高、デフレの今、日本銀行券という紙切れがバブルの絶頂に達しているわけですね。
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