2009年3月6日

早期リタイアと「生きる意味」

4日ほど留守にしていたのですが、RSSリーダーに溜まった記事の数がえらいことになってました。追いつくのが大変です。気になるブログを見つけたらとりあえず購読してみる主義なので、購読数は増える一方なんです。

そういうブログのひとつに気になる記事が。
 素敵なセミリタイア~日記・ブログ・BLOG・株・FX・不労所得: 生きる意味
ブログ主の方は昨年末あたりにセミリタイアされたそうですが、何やらお悩みの様子で、同じ早期リタイア組として残念に思います。
みんな楽しく生きてるのだろうか?
私は普通に楽しく生きていますよ。
セミリタイアしてからは
色々なストレスはなくなったけど
彼女もいないし
人生を全然エンジョイ出来ない。
多少のお金と膨大な時間はあるけど。

一番何が違うのかと言うと
「夢」とか「希望」とか「彼女」とか「健康」とか
そんな当たり前なものがなくなって

「毎日が盆と正月」になった。

単純に生き甲斐がなくなった。
リタイアできるだけのお金と膨大(だが有限)な時間があって、「毎日が盆と正月」であることに悩むというのは、正直言って私には理解できない価値観です。合理主義者の私に言わせれば、他の条件が同じなら自由時間は多ければ多いほど良いに決まってます。

でも、世の中には彼と同じような価値観を持っている人もかなり多いような気がします。完全に自由の身であるよりも、ある程度の不自由があるほうが幸福だと考える人たちです。ビフォーよりアフターのほうが不幸になるなら、何のための早期リタイアなのかわかりませんから、自分がどの程度の不自由を必要とする人なのか、つまり早期リタイア適性がどの程度あるのかということは、退職を決める前によく見極めておく必要があると思います。

ちなみに私の場合は、自分の労働観や人生観、1ヶ月の長期休暇を取ったときの感覚などから、リタイア適性に問題がないことは退職時から確信していました。

なお、「生きる意味」を考えることについては、ちょうど最近読んだ次のブログ記事に共感したばかりでして、非常にタイムリーな話題だと感じました。
 404 Blog Not Found: 意味の有無を問う(無)?意味

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