ETC割引の裏技で得する方法
このサイトの「裏技ナビゲーター」に出発ICと到着ICを入力すれば、こんな感じで最適乗り継ぎが表示されます。
上の例では、休日昼間割引が適用される100km以内の区間に分割して乗り降りすることにより、分割しない場合と比べて約29%も節約になることがわかります。ちょっと乗り降りの手間は増えますが、実行する価値はありそうです。
>中心に置くべき事は「収入」であり、「資産」ではないということになりませんか?これは別記事のコメント欄に寄せられた意見のようなのですが、正直なぜそういう結論になるのか私には理解できませんでした。
うさみみは最初に、仕事の収入がなければ、全てが始まらないという点で、「最大のポートフォーリオは仕事だ」という視点を一部の個人投資家は軽視しているのではという危惧はあります‥‥という風に考えてしまいました。確かに資産を形成するにはまず収入がなければならないという意味では、収入を得る手段としての労働(仕事)を重視すべき時期もあると思います。
将来、仕事収入に対する依存度を減らしていく、もしくはなくすことができれば、人生の選択肢は格段に増えてくると思います。まさにその通りですね。
>中心に置くべき事は「収入」であり、「資産」ではないということになりませんか?ここで最初の疑問に戻りますが、なぜ「収入」が中心である必要があるのかなと。
については、必要とする収入が3つの要素どれからか入ってくればいいことになるので、中心に置くことは「収入」であることが言えると思います。
仕事収入でまかなおうと、金利収入でまかなおうと、投資収益でまかなおうと、キャッシュフローを持つことに意味があるということです。
人生何が起こるか分からないし、最悪の場合、資産を削って生活していけばいいです。資産を削って生活するのは「最悪」ではなく、収入にこだわるよりもむしろ「最善」に近い方法であるというのが私の考えです。
私は長期投資の本質は「短期の価格変動に耐え、投資対象のこの結論に異論はないです。
本来的なリターンを取りに行く」行為だと考えております。
あるいは「手間をかけず」という考えもいかがなものでしょうか。たとえば、たゆまぬ研究を重ねてタイミング売買戦略をとれば、ほったらかし投資よりも継続的に優位に立てるものなのでしょうか? そう結論付けるための根拠は何もないのが現実だと思います。ならば、「ほったらかし投資」という戦略をあえて選択することは、「安易」どころかそれなりに合理的な投資行動だと言えるでしょう。
私は基本的に努力をせず、あるいは手間をかけずにお金を稼ぐことな
どできないと思っています、それが仕事であれ、資産運用であれ、
人間が織り成すこの社会で、そもそも手間をかけずにお金を稼ぐなど
というおいしいお話があるとは私には思えません。
私にはちまたでよく言われる長期投資は、長期投資の名を借りて
安易に行う「放ったらかし投資」にみえてしかたありません。
本来長期投資はだれでもできるような甘いものではなく、激しい
価格変動に耐えられる精神力と、たゆまぬ研究が求められる最も
厳しい投資法というべきものではないでしょうか。
知り合いの一部上場企業の正社員は、残業がなくなるだけでなく、週1日休まなければならなくなったとのことです。知り合いの方はこの変化をネガティブに捉えているようですが、人員削減でオーバーワークを強いられる正社員も多い中、労働時間が減るという方向性をもっとポジティブに捉えてもいいんじゃないかなというのが私の考えです。
●責任あるポジションにつきたくないこの考え方は、とてもよく理解できます。私の会社員時代も、いわゆる「出世」はしたくないと考えていました。それがどこから来るのかと問われれば、私の答はこうです。
という考え方というのは、どこから来るのでしょうか?
「自由」には「義務」がついてまわることも忘れていないかとも感じます。一般に自由とは義務から解放された状態を指すので、ついてまわるのは「義務」ではなく「責任」が正しいと思います。
仕事からの収入が人生を大きく左右することを考えると、特に考えたことがないって人は、考えている人に比べて差が付いても仕方がないかもしれません。確かに収入も人生を左右しますが、それを得るために失うものも人生を大きく左右するかもしれません。トレードオフをどこまで許容するかは、人それぞれの人生観によってまったく違ってくるでしょうね。
「正義感のつもりだった」。脅迫容疑で書類送検された川崎市の会社員の女(29)は、1988年に足立区で起きた女子高生コンクリート詰め殺人事件に、キクチが関与したかのような書き込みを見た。「許せない」と思い、ブログのコメント欄に「殺してやる」と書き込んだという。19人の容疑者たちは、こういう書き込みが犯罪になるとは思わなかったそうですが、どうも嘘っぽく聞こえます。「犯罪かもしれないけど、匿名だから知ったこっちゃない」が本当のところではないかと。
IT分野に詳しいジャーナリストの佐々木俊尚さんは「感情が揺れ動きやすいネットの世界では、他者の批判に乗っかってしまう人が多い。日本でも抑止力になるような規制が必要ではないか」と警鐘を鳴らしている。そのような規制は不要、というか有害です。この方は『フラット革命』の著者ですが、インターネットという新しいメディアにも、既存メディアの「公共性」の概念を持ち込もうとする主張は相変わらずのようです。
より安くつくるという当たり前のことが、日本の道路建設ではできていないのです。
道路公団では費用対効果や経済性など顧みず、ムダとわかっている道路もどんどんつくり続け、巨額の借金を作る一方で、天下り機関としてファミリー企業を増殖させ、「公」の名のもとに道路を私物化してきました。
そうではなく、財政を立て直すと同時に「官」の独占を排し、民間の力、民間の知恵が活用できるかたちにしてこそ、本当の民営化なのです。
財政を立て直すと同時に、限られた予算のなかで、民間の活力を導入することによって、より安く質の高いサービスを提供するため
肥大化し、自己目的化した「官」の力を削ぎ、適正なものにするの二つに尽きます。道路行政に限らず、日本の行政全般に当てはまるでしょう。
官が権力を行使できるのは、本来、公僕(サーバント)として国民に奉仕するのが役割だからです。それが、一部の業者や族議員のような、声の大きい者のために奉仕している状態になっているのが、今日の道路行政なのではないでしょうか。まさにその通りですね。