副題に興味を引かれて読んでみたのですが、冗長かつ難解な本でした。
「投資家はなぜ、運を実力と勘違いするのか」の答は、人は単なる偶然で生まれた結果をありのままに受け取ることができずに、他の事象と何らかの因果関係があると思い込みやすい生き物だから、で済んでしまうと思います。それでは余りにもつまらないので話題を大きく膨らませてどんどん加筆していった結果こんなに分厚い本になったのかな、と感じました。
新作の『ブラック・スワン』の日本語版は、もっと読みやすい本に仕上がっていることを期待します。
印象に残った記述を引用しておきます。
どんな分野(戦争、政治、製薬、投資など)でも、結果で成績を測ることはできない、あり得た他の可能性(つまり、歴史が違った道をたどっていた場合)のコストで測るべきだ、というよくある話から始める。物事がたどったかもしれない他の道を、違った歴史と呼ぶ。明らかに、結果だけで判断の質を評価することはできない。でも、そんなことを口にするのは失敗した人だけだ(成功した人は自分の判断のおかげだと言う)。
違った歴史という考え方は明らかに直観に反しているけれど、面白いのはそれからだ。そもそも、私たちは確率論を理解できるようにはできていない。そのことはこの本で繰り返し説明する。とりあえず、脳を研究している人たちによると、私たちの脳には数学的な真理がほとんどわからない。とくに偶然の結果を検証するのはまったくダメだ。確率論で得られる結論はまったく直観に反している。
事象が起きた後に得られた情報を、事象が起きたときにわかっていたはずだと考え、その結果、事象が起きた当時の情報を過大に見積もってしまうことを、心理学者たちは後知恵バイアスと呼ぶ。「最初からわかっていたよ」というやつだ。
そして、偶然に気を取られすぎた人たちが、何度も苦しんだ挙句、精神的に疲れてしまって燃え尽きるのはなぜかもわかる。何と言おうと、苦しみは喜びで相殺できない(一部の心理学者によると、平均的な損失で人が感じる苦しみは、同じだけの利益で人が感じる喜びの2.5倍の衝撃力を持つ)。
経済学的な方法(カルロスの場合)にせよ、統計的な方法(ジョンの場合)にせよ、何かの方法で得た信念の正確さを過大に評価している。経済指標にもとづいてトレーディングをやって、これまで成功できたのは単なる偶然かもしれないし、もっと悪くすると経済学的な分析そのものが過去に起きたことに合うようにつくられてしまっているかもしれないとは、彼らは決して考えない。その結果、過去の出来事を左右した偶然の要素が見えなくなってしまう。
どっちがましだろう、1ドルの損を100回繰り返すのと一度に100ドルを損するのとでは?
明らかに後者だろう。一度に損する額が大きくなるにつれて、痛みはだんだん増えなくなる。だから、長い間にわたって1日1ドルずつ儲かり、突然それを一度に失う取引戦略は、経済的には筋が通らなくても快・不快で言えば実は快いのである。だから、それで儲かるというお話をでっち上げて、そんな戦略をとり続けるのだ。
私たちは物事がお互いに独立に起きるとは考えない。AとBの二つの事象を見ると、AがBを起こすか、BがAを起こすか、あるいはそれぞれが互いを起こすかのどれかを仮定してしまいがちだ。安易に因果関係を思い浮かべるというバイアスが私たちにはある。
私の心と頭は一致しないから、トレーディングをするときは非合理的な判断をしないよう、本気で取り組まないといけない。つまり、損があらかじめ決めておいた限度に達しないかぎり、自分でパフォーマンスが見られないようにしておくのだ。チョコレートを食べるという行いについて、頭と食欲がばらばらだというのと変わらない。私が一般的にやっていることはと言えば、絶対にトレーディング・デスクにはチョコレートの箱を置かないということだ。
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